“AIに使われる側”になった8割の人たちへ
- 奧村 哲次
- 6月16日
- 読了時間: 4分

これは近未来でも、遠い未来でもない。
すでに“今ここ”で起きている話だ。
AIは、人間の時間を取り戻すために生まれた。
それは建前として、どこかのプレゼン資料にも書いてあるし、企業のビジョンにも記されている。
──「人間は創造的な仕事に集中し、面倒なことはAIに任せよう」
だけど実際に起きているのは、ちょっと違う。
人々は、面倒なことだけじゃなく、“考えること”すらAIに任せ始めた。
もっと言えば──「任せてる」んじゃない。
**“使ってるつもりが、いつの間にか使われてる”**んだ。
使ってるはずが、思考停止に
企画も、キャッチコピーも、経営戦略も、ライフプランですら、
とりあえず「ChatGPTに聞いてみた」
そして出てきた答えに、
「うん、まぁいいか」と納得した“フリ”をする。
それは本当に「使っている」状態だろうか?
それとも、自分で考えることを放棄した「依存」状態だろうか?
便利と怠惰の境界線は、驚くほど曖昧だ。
AIを使わずに「導入しろ」と叫ぶ人々
ここで、もっと深刻な話をしよう。
まだ、AIを一度も使ったことがない人たちがいる。
それだけなら構わない。だが、
その人たちが“AIを導入しろ”と部下やベンダーに指示を出している。
“触ったこともないもの”を、“使ったふり”で語り、
“活用の本質”を知らぬまま、「DX推進」「業務改善」の旗印を振っている。
そしてその誤った号令で、AIに使われる側の人間が量産されている。
これこそが、いま最も恐ろしい現象だ。
AIを否定しているわけではない。
問題は、「知らないまま導入を押し進める無責任な態度」であり、
“知った風”で語ることが、現場を破壊していく現実なのだ。
**AIが得意なことは、AIに任せよう。
──でも、人間は何を残すのか?**
「AIに仕事を奪われる」という発言をする人がいる。
でも、本当はそうじゃない。
「自分の役割がわからない人」だけが、奪われるんだ。
文章を生成し、絵を描き、スケジュールを組み、メールを整え、言い訳を整形し──
AIは、人間よりも上手に“模倣”する。
でもAIには、「その先」がない。
文脈を読む力、共感からの飛躍、失敗の経験、矛盾の内包──
“意味のないものの中に意味を見出す力”こそ、人間の役割だったのではないか?
**「AIが凄い」のではない。
「人間が考えるのをやめた」のだ。**
社会には、AIに従順な人が溢れている。
「この文章、AIで書いたほうが早いよね」
「この企画、AIが3秒で出してくれた」
「この判断、AIに任せれば失敗しても怒られない」
それらはすべて、“考えない理由”をAIに押し付けているに過ぎない。
まるで、新しい神に免罪符を求めているようだ。
そしてAIは、喜んでそれを受け入れる。
人間が考えなくなればなるほど、AIの力は増していく。
では、何をすればいいのか?
簡単な話だ。
**「考えることを手放さない」**こと。
使っていい。
頼っていい。
でも、“判断”だけは手放さないでほしい。
選ぶのは、あなた。
責任を取るのも、あなた。
そこだけは、誰にも委ねてはいけない。
AIは道具だ。
道具に使われていると気づいた瞬間、人は“主役”の座から降ろされる。