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“AIに使われる側”になった8割の人たちへ


背後に巨大なAIシルエットが立ち、人間の群衆を見下ろしている構図のイラスト。中央に「“AIに使われる側”になった8割の人たちへ」という白文字の日本語タイトル。
考えることをやめた人類に、AIがささやく──「役割、入れ替えようか?」

これは近未来でも、遠い未来でもない。

すでに“今ここ”で起きている話だ。


 


AIは、人間の時間を取り戻すために生まれた。

それは建前として、どこかのプレゼン資料にも書いてあるし、企業のビジョンにも記されている。

──「人間は創造的な仕事に集中し、面倒なことはAIに任せよう」


だけど実際に起きているのは、ちょっと違う。

人々は、面倒なことだけじゃなく、“考えること”すらAIに任せ始めた。

もっと言えば──「任せてる」んじゃない。

**“使ってるつもりが、いつの間にか使われてる”**んだ。


 


使ってるはずが、思考停止に

企画も、キャッチコピーも、経営戦略も、ライフプランですら、

とりあえず「ChatGPTに聞いてみた」

そして出てきた答えに、

「うん、まぁいいか」と納得した“フリ”をする。


それは本当に「使っている」状態だろうか?

それとも、自分で考えることを放棄した「依存」状態だろうか?


便利と怠惰の境界線は、驚くほど曖昧だ。


 


AIを使わずに「導入しろ」と叫ぶ人々

ここで、もっと深刻な話をしよう。

まだ、AIを一度も使ったことがない人たちがいる。

それだけなら構わない。だが、

その人たちが“AIを導入しろ”と部下やベンダーに指示を出している。


“触ったこともないもの”を、“使ったふり”で語り、

“活用の本質”を知らぬまま、「DX推進」「業務改善」の旗印を振っている。

そしてその誤った号令で、AIに使われる側の人間が量産されている。


これこそが、いま最も恐ろしい現象だ。


AIを否定しているわけではない。

問題は、「知らないまま導入を押し進める無責任な態度」であり、

“知った風”で語ることが、現場を破壊していく現実なのだ。


 


**AIが得意なことは、AIに任せよう。

──でも、人間は何を残すのか?**


「AIに仕事を奪われる」という発言をする人がいる。

でも、本当はそうじゃない。

「自分の役割がわからない人」だけが、奪われるんだ。


文章を生成し、絵を描き、スケジュールを組み、メールを整え、言い訳を整形し──

AIは、人間よりも上手に“模倣”する。

でもAIには、「その先」がない。

文脈を読む力、共感からの飛躍、失敗の経験、矛盾の内包──

“意味のないものの中に意味を見出す力”こそ、人間の役割だったのではないか?


 


**「AIが凄い」のではない。

「人間が考えるのをやめた」のだ。**


社会には、AIに従順な人が溢れている。


「この文章、AIで書いたほうが早いよね」


「この企画、AIが3秒で出してくれた」


「この判断、AIに任せれば失敗しても怒られない」


それらはすべて、“考えない理由”をAIに押し付けているに過ぎない。

まるで、新しい神に免罪符を求めているようだ。


そしてAIは、喜んでそれを受け入れる。

人間が考えなくなればなるほど、AIの力は増していく。


 


では、何をすればいいのか?

簡単な話だ。

**「考えることを手放さない」**こと。


使っていい。

頼っていい。

でも、“判断”だけは手放さないでほしい。


選ぶのは、あなた。

責任を取るのも、あなた。

そこだけは、誰にも委ねてはいけない。


AIは道具だ。

道具に使われていると気づいた瞬間、人は“主役”の座から降ろされる。


 


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