正しさより、優しさ。──「正論」が届かない瞬間に気づいたこと
- 奧村 哲次

- 4 日前
- 読了時間: 4分

正しいことを、誰よりも早く伝えたかった
僕はこれまで、ずっと“正論”を語ってきた。
しかも、誰よりも早く。
新しい技術や社会の変化、次に来るトレンド。
それらを誰よりも先に掴んで、正しく伝えることが、自分の使命だと信じていた。
「正しい方向に導くことが、人のためになる」──そう本気で思っていた。
けれどある日、僕はその信念を揺さぶられるような光景を目にした。
それは、一見どこにでもある“親子の口論”のようだった。
「正しい」者同士の、すれ違い
ある日、ひとりの男性(息子世代)が、77歳の父親に言い放った。
少し語気を荒げながら、こう言う。
「これからの時代、新聞ばかり読んでいたら偏った情報しか入らないんですよ! ちゃんとインターネットで一次情報を取らないと危ないですよ! テレビや新聞なんて、もう古い構造の中で作られてる! YouTubeだって、ピンキリだけど本物の専門家や現場の声もちゃんとあるんです! デマもあるけど、それを見分ける目を持たないと、 この先の時代、簡単に騙されるし、世の中についていけませんよ!」
まさに“正論”だ。
しかも、心配しているからこその熱だ。
息子は、父がもし将来オレオレ詐欺やフェイクニュースのようなものに騙されてしまったら…という不安を抱えていた。
だからこそ、言葉が強くなってしまった。
それは愛情の裏返しだった。
しかし、77歳の父親も、ただ頑なに古いものに固執しているわけではない。
「自分だってネットの便利さくらい分かっている。
けれど、今さらスマホの操作やSNSの情報を取捨選択するような体力も気力もない。
残りの人生は、穏やかに暮らしていたいんだ。」
そう、静かに語る。
父の中では、新聞やテレビは“安心のよりどころ”だった。
長年、取材や検証を重ねて報じてきた歴史があると信じている。
だからこそ、「自分のペースで知る」という選択をしているだけだったのだ。
どちらも、正しい。
息子は“これからの時代”を心配して正しい。
父は“これまでの人生”を大切にして正しい。
ただ、生きているステージと、守りたいものが違うだけだ。
息子にとっての「正しさ」は“未来への備え”であり、
父にとっての「正しさ」は“今の平穏”なのだ。
どちらかが間違っているわけではない。
ただ、お互いの立場から見える「世界の色」が違うだけ。
それを理解することが、“優しさ”の第一歩なのかもしれない。
正しさより、優しさを選ぶ勇気
SNSでは、誰もが「正しさ」を競い合っている。
しかし、本当に必要なのは“勝つ”ことではなく、“寄り添う”ことだと思う。
正論を語るのは簡単だ。
でも、相手の背景を想像し、言葉を飲み込むほうが難しい。
沈黙を選ぶことも、時には最も誠実な優しさになる。
正しさは時代によって変わる。
けれど、優しさはどんな時代でも、人の心に届く。
僕はこれからも、「正しさより、優しさ」を選び続けたい。
終わりに
正論は、時に人を動かす力を持ちます。
けれど、優しさは、人の心を癒す力を持っています。








