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正しさより、優しさ。──「正論」が届かない瞬間に気づいたこと

夕暮れ時に向かい合って語り合う二人の人物。 正論をぶつけ合いながらも、互いを思う気持ちが交錯する情景。
「どちらも正しい」──正しさを超えて、優しさでつながるという選択。

正しいことを、誰よりも早く伝えたかった

僕はこれまで、ずっと“正論”を語ってきた。

しかも、誰よりも早く。


新しい技術や社会の変化、次に来るトレンド。

それらを誰よりも先に掴んで、正しく伝えることが、自分の使命だと信じていた。

「正しい方向に導くことが、人のためになる」──そう本気で思っていた。


けれどある日、僕はその信念を揺さぶられるような光景を目にした。

それは、一見どこにでもある“親子の口論”のようだった。


「正しい」者同士の、すれ違い

ある日、ひとりの男性(息子世代)が、77歳の父親に言い放った。

少し語気を荒げながら、こう言う。

「これからの時代、新聞ばかり読んでいたら偏った情報しか入らないんですよ! ちゃんとインターネットで一次情報を取らないと危ないですよ! テレビや新聞なんて、もう古い構造の中で作られてる! YouTubeだって、ピンキリだけど本物の専門家や現場の声もちゃんとあるんです! デマもあるけど、それを見分ける目を持たないと、 この先の時代、簡単に騙されるし、世の中についていけませんよ!」

まさに“正論”だ。

しかも、心配しているからこその熱だ。

息子は、父がもし将来オレオレ詐欺やフェイクニュースのようなものに騙されてしまったら…という不安を抱えていた。

だからこそ、言葉が強くなってしまった。

それは愛情の裏返しだった。


しかし、77歳の父親も、ただ頑なに古いものに固執しているわけではない。

「自分だってネットの便利さくらい分かっている。 

 けれど、今さらスマホの操作やSNSの情報を取捨選択するような体力も気力もない。 

 残りの人生は、穏やかに暮らしていたいんだ。」

そう、静かに語る。


父の中では、新聞やテレビは“安心のよりどころ”だった。

長年、取材や検証を重ねて報じてきた歴史があると信じている。

だからこそ、「自分のペースで知る」という選択をしているだけだったのだ。


どちらも、正しい。

息子は“これからの時代”を心配して正しい。

父は“これまでの人生”を大切にして正しい。

ただ、生きているステージと、守りたいものが違うだけだ。


息子にとっての「正しさ」は“未来への備え”であり、

父にとっての「正しさ」は“今の平穏”なのだ。


どちらかが間違っているわけではない。

ただ、お互いの立場から見える「世界の色」が違うだけ。

それを理解することが、“優しさ”の第一歩なのかもしれない。


正しさより、優しさを選ぶ勇気

SNSでは、誰もが「正しさ」を競い合っている。

しかし、本当に必要なのは“勝つ”ことではなく、“寄り添う”ことだと思う。


正論を語るのは簡単だ。

でも、相手の背景を想像し、言葉を飲み込むほうが難しい。

沈黙を選ぶことも、時には最も誠実な優しさになる。


正しさは時代によって変わる。

けれど、優しさはどんな時代でも、人の心に届く。

僕はこれからも、「正しさより、優しさ」を選び続けたい。


終わりに

正論は、時に人を動かす力を持ちます。

けれど、優しさは、人の心を癒す力を持っています。

記事の続きは…

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