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ノーコード礼賛社会へのディスリスペクト宣言

更新日:8月28日

ノーコード開発の概念図とその落とし穴を象徴するイラスト
ノーコードに潜む“思考停止”──便利さの裏側にある、誰も語らないリスクとは?

"ノーコードが民主化? いいえ、それは“技術の思考停止”です。"


第一章:ノーコード信者たちの幻想

ここ数年で「ノーコード万歳!」という声があちこちから聞こえるようになった。


kintone、justDB、Airtable、Bubble...


技術のない人でもアプリが作れる! 業務改善がすぐできる! とにかく早い!


──確かに、耳障りはいい。


でも、その実態はどうか?


「誰でも作れる」は、誰も責任を取れない世界を生んでいないか?


そのアプリ、止まったとき誰が直す? そのロジック、誰が読める?


属人化を解消するためのDXが、逆に“ノーコード職人の神格化”を生み出している。


そして彼らが退職した瞬間、会社の業務も吹き飛ぶ。笑えないホラーだ。


さらに深刻なのは、「止まったらベンダーに頼めばいい」という勘違いがまかり通っている点だ。


例えば、サーバーやアプリが停止した場合、開発ベンダーに丸投げすればいいと安易に考えるが、

現実はそんなに甘くない。業務が止められない状況では、自社内でも復旧の見通しや判断が必要になる。


しかし、ノーコードで作られたアプリは、どこが悪いのか分からない、そもそも“どこを触れば良いのかも不明”というブラックボックス。


それを解析するには、一からモノづくりをするレベルで調査・学習をし直さなければならず、

対応できるSEが社内に存在しない──というケースが大多数。


結局、「便利だから」という理由で導入したツールが、最大のリスク要因になっていることに、気づけない企業が多すぎる。


なお、ここで強調しておきたいのは、ノーコード自体を“全否定”するものではないという点だ。


ノーコードを支持する人々の意見にも、一理ある。


技術者不足の現場で即応できる


小さく始めて、現場が業務改善を回せる


コストを抑えながらスピード感を持って導入できる


これは確かに重要な視点だ。

ノーコードは「現場が動く」ための武器になる。


だが、その“武器”を「無法地帯」にするか、「戦略の一環」として使うか。


──ここに、経営の成熟度と未来への責任が問われている。


第二章:ノーコードが生む、デジタル無能者たち

ノーコードを使っていた人が転職するとする。


次の職場にkintoneもjustDBも無い。


──何もできない。


if文もfor文も知らない。SQLも書けない。データベースの正規化も知らない。


でも前職では「DX推進担当」として重宝されていた。


これは本人が悪いのではなく、“ツールに甘えた会社の責任”だ。


「覚えやすさ」と「思考停止の許可」は違う。ノーコードは後者を助長している。


だからこそ必要なのは、ノーコードの利用と並行して、“技術の基礎体力”を社内に育てることだ。


現場主導の改善を進めるならこそ、再現性のあるスキルセットが必要なのだ。


第三章:クラウドSaaSはOK、なぜなら思想が違う

Google Apps Script や Microsoft Power Platform は一定の評価に値する。


なぜなら、これらは“自動化”や“補助レイヤー”でのノーコードだから。


GASはコードを書ける


Power AutomateもバックでAPIを使える


ユーザーが "何をしているか" を理解しながら操作できる


つまり、透明性と拡張性がある。


でもkintoneやjustDBのような“業務の心臓部に侵食するノーコード”は違う。


作った人以外読めない。止まったらおしまい。しかもコードに変換もできない。


それはブラックボックスで作った家に、住民票を移すようなものだ。


第四章:実例で見るノーコードの末路

事例1:前任者が辞めた瞬間、kintoneが操作不能に

説明書もなく、ロジックも読めず、ベンダーも連絡つかず。

「業務止まりました」と現場は阿鼻叫喚。


事例2:justDBで営業日報を全て管理 → データ全損

バックアップ設計がそもそも無い

exportすら手動で誰もやっていなかった


事例3:ノーコード職人が神のような扱い → 結果、技術継承ゼロ

属人化の極み。ドキュメントも仕様書も無い。

ローカル英雄の退職でシステムもろとも終了。


事例4:開発ベンダーに丸投げして「納品されたノーコードアプリ」

中身が分からず、トラブル発生時に「再開発のほうが早い」と言われる

業務部門はベンダー依存、情報システム部門は沈黙──まさに組織崩壊の序章


これが現実。美談ではない。


第五章:ビジネス観点での致命的リスク

ノーコードを採用した時点で、技術的な持続可能性を放棄している


継続性が担保できない(ツールに依存)


採用が難しくなる(エンジニアが敬遠)


外部連携や高度な処理に対応できない(限界が来る)


DXではなく「目先の楽さDXごっこ」になっている企業が、山ほどある。


さらに深刻なのは、この“ノーコード的発想”が別の領域に拡大していることだ。


開発ベンダー任せの丸投げ発注


コンサルが作る「見栄えの良いだけ」の要件資料


──これらはすべて「中身のないDX」だ。

“絵に描いた餅”が、現場に無理やり押し込まれていく構造そのものである。


最終章:ラフティとして、あなたに伝えたいこと

ノーコードは「使うな」と言いたいのではない。

記事の続きは…

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