陽キャは陰キャに合わせられる。でも、それだけでは友達にはなれない。

最近、人とのコミュニケーションについて、ふと思ったことがあります。
少し乱暴な言い方をすると、
陽キャの人は、陰キャの人に話を合わせることができる。
でも、陰キャの人が陽キャを演じ続けるのは、結構難しいんじゃないか。
もちろん、人間を「陽キャ」「陰キャ」の二種類に分類できるとは思っていません。
その中間の人もいるし、仕事では陽キャだけどプライベートでは静かな人もいる。
だから、これはあくまで一つの例えです。
でも、人とのコミュニケーションには、ちょっとした「非対称性」があるような気がしています。
100を50にすることと、50を100にすることは違う
よく喋る人が、静かな人と話す。
これは比較的できます。
少し声のトーンを落とす。
自分ばかり話さない。
質問を増やす。
相手が答えるまで待つ。
沈黙があっても気にしない。
つまり、
自分が持っているエネルギーを少し抑えればいい。
でも逆は、結構しんどい。
普段あまり話さない人に、
「もっと喋って!」
「もっと盛り上げて!」
「積極的に発言して!」
「初対面の人にもどんどん話しかけて!」
と言っても、簡単にはできません。
これは、ないものを無理やり作る作業になるからです。
僕はこの違いを、
100を50にすることと、50を100にすることの違い
だと思っています。
100持っている人は、出力を下げることができる。
でも、50の人に100を求め続ければ、当然疲れる。
これは会社でも、人間関係でも、結構重要なことだと思います。
「もっと積極的に」は簡単に言わない方がいい
会社でもよくあります。
「もっと積極的に発言してください」
「もっとコミュニケーションを取りましょう」
「もっと前に出てください」
言うのは簡単です。
でも、僕は最近、それって少し乱暴なのではないかと思っています。
静かな人には、静かな人の能力があります。
よく考えてから話す人。
人の話を聞ける人。
一人で深く考えられる人。
細かな違和感に気づける人。
全員を同じタイプにする必要なんてありません。
むしろ、全員が僕みたいだったら、たぶんうるさい(笑)。
組織として大事なのは、
全員を同じ人間に変えることではなく、違う人間が一緒に働ける状態を作ること。
だと思っています。
ただ、ここまで考えて、自分自身にも問題があることに気づいた
ここまで書くと、
「じゃあ奥村は、誰にでも合わせられるんですね」
と思われるかもしれません。
でも、そんなことはありません。
むしろ僕自身、まだできていないことがあります。
僕は自分では、どちらかというと陽キャ側だと思っています。
初対面の人とも話します。
知らない人にも話しかけます。
飲み会も嫌いではない。
サーフィンにも行く。
外に出ることも好きです。
だから、静かな人とも普通に話せます。
相手がITエンジニアで、ゲームが好きでも、アニメが好きでも、インドア派でも、話を合わせることはできます。
IT業界に20年以上いるので、そういう人たちとも本当にたくさん仕事をしてきました。
でも、ここで一つ問題があります。
話はできる。
でも、本当の友達にはなかなかなれない。
これには、自分でも少し悩んでいます。
「話が合う」と「人生が合う」は違う
例えば僕は、30年近くサーフィンをしています。
サーフィンというのは、単なるスポーツというより、かなり生活に近い。
朝早く起きる。
車で海まで行く。
天気を見る。
風を見る。
波を見る。
自然の中に入る。
夏なら海パン一枚で海に入る。
冬でも寒い海に入る。
波が悪ければ、何時間運転しても何もせず帰ることだってあります。
それでも面白い。
僕にとっては、そういう時間そのものが楽しい。
でも当然、そう思わない人もいます。
休みの日は家でゲームをしたい。
映画を見たい。
アニメを見たい。
パソコンを触っていたい。
それも全く悪いことではありません。
僕もその話を聞くことはできます。
面白く聞くこともできます。
でも、
「じゃあ次の日曜日、一緒にそれをやろう」
となると、話は変わります。
逆も同じです。
相手も僕のサーフィン話は聞いてくれる。
「面白そうですね」
と言ってくれる。
でも、
「じゃあ朝4時に起きて海へ行きましょう」
と言ったら、
「いや、それはいいです」
となる(笑)。
つまり、
会話を合わせることと、人生の時間を一緒に使いたいと思うことは、全く違う。
僕は最近、ここに気づきました。
コミュニケーション能力があっても、友達はできるとは限らない
僕はずっと、コミュニケーション能力が高ければ、人とは仲良くなれると思っていたところがあります。
でも、たぶん違います。
仕事では、
「相手に合わせて話せる」
ことはものすごく重要です。
経営者と話す。
現場と話す。
エンジニアと話す。
営業と話す。
論理的な人とも、感覚的な人とも話す。
相手に合わせて伝え方を変える。
これは仕事では大きな武器になります。
でも、友達は違う。
友達になるには、
適応力だけでは足りない。
必要なのは、
共鳴
なんだと思います。
一緒にいて面白い。
同じことで笑える。
同じことにワクワクする。
一緒にどこかへ行きたくなる。
何の利害関係もないのに、また会いたいと思う。
そこまでいって、初めて友達になる。
僕自身、まだここはできていない
だから今回の話は、
「陽キャは陰キャに合わせられるから、陽キャの方がコミュニケーション能力が高い」
という話ではありません。
そんな単純な話ではない。
僕自身、相手に合わせて話すことはできても、
相手の世界まで入っていけているのか?
と言われれば、できていないことがたくさんあります。
「自分はアウトドア派だから」
「自分はこういう人間だから」
と言ってしまえば簡単です。
でも、それでは結局、自分も自分の世界から出ていない。
これは、僕自身の課題でもあります。
合わせることと、同化することは違う
ただし、だからといって無理をして相手と同じ人間になる必要もないと思っています。
ゲームが好きな人と友達になるために、無理してゲームを始める必要はない。
インドア派の人に合わせるために、サーフィンをやめる必要もない。
逆も同じです。
大切なのは、
合わせることと、同化することを間違えないこと。
自分の軸は持っていていい。
でも、自分と違う世界を閉ざさない。
「俺は興味ないから」で終わらせず、
「なぜこの人はこれが面白いんだろう?」
と少し入ってみる。
そこから何かが始まるのかもしれません。
結局、大事なのは陽キャか陰キャかではない
ここまで考えると、
陽キャとか陰キャとか、本当はどうでもいい話なのかもしれません。
大事なのは、
自分と違う人に、どれだけ興味を持てるか。
そして、
自分の出力を相手に合わせて変えられるか。
さらに、
それでも自分自身を失わずにいられるか。
だと思います。
仕事で必要なのは「適応力」。
友達になるために必要なのは「共鳴」。
たぶん、この二つは似ているようで違います。
僕自身、適応することはそれなりにできるようになりました。
でも、違う価値観の人と深く共鳴することについては、まだまだです。
49歳になっても、こういう課題は残っています。
いや、むしろ年齢を重ねたからこそ、見えてきたのかもしれません。
誰とでも話せる。
でも、誰とでも友達になれるわけではない。
だからこそ面白い。
人間関係って、まだまだ難しい。
僕ももう少し、自分と違う世界に入ってみようと思います。




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