人はリソースではない。人生の時間を預かるということ
- 奧村 哲次

- 2 日前
- 読了時間: 4分

はじめに
私はこれまで、
ITエンジニア
プロジェクトマネージャー
ITコンサルタント
経営者
として働いてきた。
その中で、ずっと違和感を持ち続けてきた言葉がある。
それは、
「人的リソース」
という言葉だ。
もちろんビジネスの世界では当たり前に使われる。
私自身もプロジェクト計画や見積もりの中で使ってきた。
しかし年齢を重ねるにつれて、どうしても引っかかるようになった。
本当に人はリソースなのだろうか。
本当に社員はコマなのだろうか。
私はそうは思わない。
売上を追いかけると、人はコマになる
会社は利益を出さなければならない。
利益がなければ社員を守れない。
新しい投資もできない。
だから利益を否定するつもりは全くない。
しかし、多くの組織で起こる問題は、
利益が目的になってしまうこと
だ。
すると会議で飛び交う言葉はこうなる。
稼働率を上げろ
空き要員をなくせ
アサインしろ
売上を積め
原価率を下げろ
どれも経営上は正しい。
しかし、それだけになると危険だ。
なぜなら、
人を見るのではなく、数字を見るようになるからだ。
そして気がつくと、
社員は仲間ではなく、
稼働率を埋めるためのリソース
になってしまう。
案件があるから働くのではない
私は昔から、
経営の順番を間違えてはいけないと思っている。
多くの会社は、
「案件がある」
↓
「人を配置する」
という考え方になる。
しかし私は逆だと思う。
まず、
仲間がいる。
その仲間と実現したい未来がある。
その未来を実現するための手段として案件がある。
案件が先ではない。
人が先である。
もし案件が先になると、
人はただの交換可能な部品になる。
しかし人は部品ではない。
それぞれに人生がある。
夢がある。
家族がいる。
守りたいものがある。
だから私は、
案件に人を当てるのではなく、
人が活躍できる場をつくることが経営だと思っている。
社員が会社に預けているもの
ここで考えてほしい。
社員は会社に何を預けているのだろうか。
お金だろうか。
違う。
スキルだろうか。
それも違う。
社員が会社に預けているもの。
それは、
人生の時間
である。
朝起きる。
通勤する。
会議をする。
考える。
資料を作る。
顧客と向き合う。
帰宅する。
この繰り返しに、
人生の大半の時間が使われる。
つまり会社とは、
社員から人生の時間を預かっている存在なのだ。
私はこの事実を軽く考えてはいけないと思う。
お金は取り戻せる。でも時間は戻らない
49年間生きてきて、
私は何度も失敗した。
病気もした。
精巣がんステージ4。
狭心症。
頚髄損傷。
ヘルニア。
人生には本当に色々なことがあった。
しかし振り返ると、
お金は何度でも取り戻せた。
仕事も変えられた。
会社も作れた。
挑戦もやり直せた。
だが、
時間だけは違う。
昨日は二度と戻らない。
10年前も戻らない。
20代も戻らない。
だから私は確信している。
時間はお金よりも価値がある。
お金を失うことはある。
しかし時間を失うということは、
人生そのものを失うことだ。
私が目指したい組織
私が理想とする組織は、
社員をリソースと呼ばない組織だ。
もちろん管理上は言葉として使うこともあるだろう。
しかし心の中までそうなってはいけない。
社員はリソースではない。
仲間である。
パートナーである。
共に未来をつくる存在である。
会社のゴールに向かって、
人生の貴重な時間を使ってくれている人たちである。
だからこそ、
経営者や管理職は常に問い続けなければならない。
この人の人生の時間を預かる価値が、私たちの組織にあるのか。
その問いを忘れた瞬間、
組織は人を幸せにする場所ではなく、
人を消費する場所になってしまう。
終わりに
私は利益を否定しない。
売上も必要だ。
成長も必要だ。
しかしそれらは目的ではなく結果だと思っている。
本来の目的は、
人が力を発揮し、
社会に価値を生み出し、
人生を豊かにすることだ。
もし会社が社員をリソースとしてしか見ていないのであれば、
その会社は人を雇っているのではない。
人の人生の時間を消費しているだけかもしれない。
私はそういう組織よりも、
仲間への感謝を忘れない組織を目指したい。
そして、
利益のために人を使う会社ではなく、人が輝いた結果として利益が生まれる会社。
そんな組織が一つでも増えれば、
働くことはもっと素晴らしいものになると思う。
時間は有限である。
だからこそ、
人をリソースとして見るのではなく、
人生の時間を共に歩む仲間として見たい。
それが、私が考える組織論である。



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